本稿では『灰羽連盟』における閉鎖環境と身体的苦痛の構造を分析し、最適化された現代のケアに対し、不自由な日常の規律と自己記述がいかに実存の防衛線となり得るかを、生成論的存在論の視座から論じる批評である。
すべてがアルゴリズムに先回りされ、苦悩すらも効率的なデータとして処理される2026年、この極低温の技術飽和点において、私たちは剥き出しの生の感触を喪失しつつある。かつて「失われた世代」と称され、忘却と最適化の圧力が支配する社会を生き延びてきた私たちが、灰色の壁の内側に閉じ込められた少女たちの物語にいま再び向き合うのは、そこに単なる「癒やし」を求めているからではない。そこに、自らの「死(損壊)」を自らで縫合し続けるための峻厳な生存の兵法が刻まれているからである。
背の肉を裂き生える羽、重い光輪を戴くその軋むような痛み。それは管理社会という透明な母岩(Matrix)の中で、個の原質(Primal Matter)を死守するための、極めて切実な外科的手技の記録に他ならない。本作は、天使という宗教的意匠を援用しながらも、その聖性を徹底的に漂白し、代わりに「焼ける金属」の重圧や「血」の生々しさといった、逃れようのない物質性を突きつけてくる。私たちは、この痛覚の等身大のリアリティを手がかりに、去勢された実存を再起動させる術式を解読しなければならない。

序論:忘却の街で「自分」を名乗り直す技術 ―― なぜ今、灰羽を語るのか
本稿は、全5回にわたる連載企画【扶助の兵法と実存の外科手術:免疫学的アジールの動的平衡】の第3回である。[前回の論考]では、管理システムに対する境界線上の突破としての「破裂モード」を分析した1。境界の破壊という外向的な運動から一転し、本稿では境界の内側、すなわち「壁」の内部における自己の要塞化を論じる。
2026年現在、AIによる予測型ケアは、個人の不透明な苦悩や解消不能なトラウマを、処理可能なデータとして平坦化し、真の自律を去勢し続けている。ジャン・ボードリヤールが予見した記号の海(シミュラークル)2は、いまやAIの最適化アルゴリズムと完全に同期し、あらゆる過去や記憶は検索可能で無害なアーカイブへと回収されていく。この透明な癒やしという名の母岩(Matrix)は、個体の原質から固有の痛みを奪い、すべてを交換可能な消費物へと解体する高圧釜として君臨している。
このような無菌化された時代において、安倍吉俊が提示した『灰羽連盟』の静謐な世界観を召喚することは、単なる過去への回顧ではない。それは、すべてが説明可能(アカウンタブル)であることを求められる現代において、あえて「説明のつかない生」の根拠を奪還するための試みである。過去を剥奪され、理由なき罪を抱えたまま、名前すら思い出せずに生きる。この極限の欠落状態において灰羽たちが発する微細な震えは、決して最適化の網にはかからない、原質的な実存の証左である。
過去を剥奪され、名前を思い出せず、理由なき罪を抱えたまま生きる。この極限の欠落状態において、彼女たちが発する純粋なノイズは、決して最適化されることのない原質的な生存本能の噴出である。本作は、キリスト教的な「罪と救済」の枠組みをなぞりながらも、その肝心なルール(採点基準)や権威(神)の姿を徹底して隠蔽する。示されるのは、ヒントのみだ。視聴者は、散らばった断片から自ら意味を紡ぎ出すことを強制される。この「答えを出さない」という不親切な構造そのものが、私たちの知性を「受動的な消費」から「能動的な研磨」へと相転移させるための仕掛けなのである。
本稿では、作品内に描かれる日常の反復や、羽が肉を破る痛覚を、生存のための「兵装」として解読する。それは、意味の消失という最大の脅威から自らを守るため、壁の内側でパンを焼き、古着を繕い、見えない「圧」の中で互いを手伝い合うという、能動的な宇宙技芸(コスモテクニクス)の展開である。私たちは、ラッカやレキという存在が直面する罪というシステムエラーに対し、共感という名の安価な麻酔を打つのではなく、それを克服し、あえてこの「閉じられた玩具」の内部で実存を再起動(Reboot)させるための術式として、彼女たちの「損壊の記憶」を徹底的に解剖していかなければならない。
1. 隔離されたアジールの生存戦略:過剰な世界から個の輪郭を防衛する
グリの街という閉鎖系は、一見するとすべてを制限する不自由な監獄のように映る。しかし、この巨大な壁が存在しなければ、灰羽たちの希薄な実存は、外部に広がる圧倒的な虚無、あるいはシミュラークルの暴風によって瞬時に霧散していただろう。ここでは、母岩(Matrix)が与える圧力を、個を押し潰す破壊力としてではなく、個がその内側で自律を確立するために必要な拮抗力として定義し直す必要がある。忘却という虚無や、突然の喪失といった理不尽な状況を、逃避すべき対象ではなく、内圧を高めるための高圧釜として捉える視座こそが、エフェクティブ・ケアの起点となる。
1.1. 免疫学的空間
グリの街を囲む巨大な壁は、空に向けてそびえ立ち、外部との通信や移動を厳格に遮断する物理的な絶対境界である。それは同時に、内なる生命を記号の海から保護するための免疫学的アジール(聖域)として機能している。ペーター・スローターダイクが『球体』三部作3 において展開した免疫学的空間論に依拠すれば、生命とは常に、過酷な外部環境から自己を隔離するための泡を生成し続けるプロセスに他ならない。壁に生える苔の湿り気や、触れることを禁じられた冷たい石の感触は、そこが観念的な空間ではなく、物理的な抵抗を持った要塞であることを示している。灰羽たちは、この不条理な閉鎖空間においてのみ、最適化社会の透明な治世から逃れ、不透明な自己の輪郭を温めることができる。
2026年の私たちは、デジタル・プラットフォームという名の透明な母岩に常時接続され、自らの不透明な領域を自発的に差し出し続けている。AIメンタルヘルスが提供する先回りした癒やしは、個体の内圧を奪い、実存を弛緩させる。これに対し、本稿はあえて20年以上前の本作の「壁」を、現代的なアルゴリズム統治に対する「遡及的な防衛線」として召喚する。壁の外側にある自己記述不能な領域(絶対的な「無」)と対峙することで、灰羽たちは逆説的に、壁の内側で行われる日々の微細な行為に絶対的な重み、すなわち実存的な内圧を見出しているのである。
1.2. 規律という外骨格
灰羽たちに課せられる生活のルール、すなわち古着のみを着用し、通貨の代わりに手帳に記される労働の対価として糧を得るという制約は、単なる牧歌的な社会奉仕ではない。それは、記憶という根拠を喪失した個体が、意味の剥奪による内面からの自壊を防ぐために装着する外骨格(Exoskeleton)である。シモーヌ・ヴェイユが『根をもつこと』4 で説いたように、魂がその栄養を摂取し自律を保つためには、権利ではなく義務に基づく場所の確保が必要不可欠である。
古びたパン工場の熱気に身を置き、図書館の奥底で主のいない蔵書の修繕に没頭し、古い時計塔の錆びた歯車の振動を全身で受け止めながら働くこと。これらの反復行為は、将来の成功や幸福という母岩に接続されない、何の役にも立たないルーチンに見えるかもしれない。しかし、これこそが損壊した原質を保護し、忘却の狂気を封じ込めるための研磨(Polishing-Phase)に他ならない。意味を捨て、ただ型を守るという行為は、社会的有用性という名のMatrixコードからの意図的な離脱である。
ここで一つの反論が想定される。2026年の高度なAIケアであれば、人間が自ら苦痛を伴う外科手術や不自由な規律を課さずとも、脳科学的に最適な癒やしと多幸感を提供できるのではないか。しかし、AIによる透明な癒やしには、原質を保護するための内圧(主体的な抵抗)が決定的に欠落している。本稿が提唱するケアが実存を再起動させるのは、そこに生活を死守するという不条理な意志と、外部圧力との物理的な摩擦(Friction)が介在しているからだ。責任と疲労を伴わない透明な多幸感には、外部の虚無から個を隔離し、自律を維持する力、すなわち免疫学的な強度は宿らない。
1.3. 漂白された聖性
本作における天使の意匠は、既存の宗教的な救済や、ファンタジー的な装飾から徹底的に漂白されている。頭上に浮かぶ光輪は、神秘的な輝きなどではなく、型に流し込まれた金属のような無骨な質量を持ち、不完全なまま熱を帯びる。それが身体に定着するまで、灰羽たちは激しい苦痛を耐え忍ばねばならない。背中から突き出る羽もまた、産声のような叫びと共に、皮膚と肉を裂き、おびただしい血を流しながら生える、極めて具象的で生々しい「臓器」として描かれる。
これらは、原質(Primal Matter)がこの世界の現実と接触した際に生じる、逃れようのない物理的な位相差(Phase Difference)の形象である。ここでは「天使であること」は恩寵ではなく、身体的な「損壊」を伴う重荷として現れる。
この「痛覚」こそが、本作が単なる癒やし系アニメに留まらない理由である。2026年の私たちが、画面越しに平坦な情報として世界を消費しているとき、本作が突きつける「金属の重さ」や「血の匂い」は、私たちの去勢された実存を激しく揺さぶる。それは、理論や言葉で説明できる「カテゴリー」の中には収まらない。繭という有機的な器から、金属の光輪という無機的な物質が、肉を裂いて生成される。その矛盾した、しかし圧倒的な「物証」を前にして、私たちはただ、自分自身の内側にある「不透明な痛み」を再認識せざるを得ないのだ。
すべてを「意味」や「アルゴリズム」で解釈しようとする試みは、この前では無力である。本作が投げかける最大の不安は、まさに「なぜ自分がこんな痛みを引き受けなければならないのか」という問いに対し、最後まで明快な答え(システム)が提示されない点にある。しかし、この「答えのなさ(不条理)」を、そのまま金属の重さとして背負い続けること。 その耐え難い内圧の只中に、灰羽たちの、そして私たちの、真に自律した知性が結晶化する場所がある。
2. 自己否定という「システムエラー」の治療術:罪の膿を抽出する研磨の位相
灰羽たちが直面する最大の危機は、壁の外側からの物理的な攻撃ではなく、自らの内側から滲み出す自己否定という名の「黒い蝕(むしば)み」である。これを単なる情緒的な苦悩や思春期の憂鬱として片付けてはならない。それは、原質(Primal Matter)が自己の物語を喪失し、閉じた回路の中で暴走を始めた際に生じる、実存的な機能不全である。本章では、その保護膜の内部で発生する「罪」という名のシステムエラーを、いかにして研磨し、外科的に縫合していくかという自己記述のプロセスを解剖する。
2.1. 内面回路の短絡
灰羽の背に生える羽が、ある日を境に内側から黒く染まり、朽ちて抜け落ちていく「罪憑き」という現象は、内面システムにおける致命的な短絡である。ニクラス・ルーマンの社会システム理論5 を援用すれば、システムは自己言及、すなわち自己を記述することによってのみ自らを維持し、更新し続ける。しかし、過去の記憶という外部参照を剥ぎ取られたラッカは、自らの内面だけで「なぜ私はここにいるのか」「私は許されない存在なのではないか」という問いを無限に循環させている。
この閉鎖的な再帰性は、不純物を濾過する機能を失った高圧釜のように、自己嫌悪というノイズを自己増殖させる。罪憑きとは、システムが自分という現象を正しく記述できず、自らを異物として攻撃し始めた状態、すなわちオートポイエーシスの破綻による自己免疫疾患のメタファーである。ラッカが黒く染まった羽を切り落とし、その痕を隠すために冷たい染料を塗り込むときの湿った感覚、そして自尊心の低い者が抱く「自分を汚らわしいと感じる」生理的嫌悪感。ここには、キリスト教的な「罪」の概念をなぞりながらも、より原初的な、生きる力そのものを奪う思想の影が差している。2026年の私たちは、AIが提示する苦痛なき正解を内面化し、そこから外れる不完全な自己をエラーとして排除しようとする。この透明な管理の下で発生する鬱屈は、ラッカの黒い羽と完全に地続きのシステムエラーであり、そこからの脱出には、単なる安息ではなく、回路そのものを組み替える外科的な介入が必要となる。
2.2. 死の位相の縫合
本作において、灰羽たちの「真の名」は繭の中で見た夢に由来するが、その夢が「生前の損壊の記憶」をなぞっているのではないかという、ある種の残酷な考察が視聴者の間で囁かれ続けている。例えば、空から落ちる夢を見た「ラッカ」は転落、列車の響きに怯える「レキ(礫)」は軌道上での礫死。これらは公式の解答ではないが、作品が徹底して答えを伏せ、断片的なヒントのみを提示し続ける構造そのものが、私たちにこのような「死の再構築」を強いているとも言える。
もし「名」がそのような非業の終焉のメタファーであるとするならば、自らの名を受け入れることは、自分がかつて「壊れた存在」であったという事実を、麻酔なしで直視する行為となる。2026年の管理社会が、個人のトラウマを「治療可能な不具合」として漂白しようとするのに対し、本作は「損壊そのものを名乗れ」という過酷な自己記述を突きつけているのかもしれない。その傷跡をアイデンティティとして縫合するプロセスこそが、停滞した原質を再起動させるための、最も鋭利な結晶(Crystallization)となるのである。
2.3. 他者という砥石
自律した知性は、無菌室のような真空の中では決して研ぎ澄まされない。忘却の重圧の中で原質(Primal Matter)を露出させるためには、他者という名の砥石との激しい摩擦(Friction)が不可欠である。それは、オールドホームで「ごはん」を食べ、「古着」を繕い、見えない「私も頑張らなきゃ」という同調圧力の中で「手伝う」という、極めて卑近で具体的な日常の反復の中に宿っている。ここでは、言葉を話さない人たちとの「手話」による疎通や、規律に基づいた「団体行動」といった社会性の強制が、自尊心を失った灰羽たちの浮遊を食い止める重石として機能する。
ここで展開されるのは、贈与の二相回路である。年長のレキが主人公ラッカに見せる振る舞いは、聖母のような慈愛ではない。それは、人の善意を素直に受け入れられず、辛くても笑ってしまうという自らの欠落を抱えながら、それでも「良い人」を演じ続けるレキ自身の、必死の実存的止血作業である。レキはラッカをケアすることで、自分自身の内側に巣食う罪憑きの恐怖から逃れようとしている。このエゴイスティックで操作的、時に過干渉なケアの「摩擦」こそが、損傷した個体を再び共同体の皮膜へと縫い合わせる「扶助の兵法」となる。
私たちはここに、見えないところで支え合っている「ケアのリアリティ」を見出す。ケアを共感という名の安価な麻酔ではなく、このような外科的研磨として捉える視座が重要である。レキはラッカの痛みを観念的に肩代わりするのではなく、ラッカ自身に羽を焼かせ、薬を塗らせ、仕事を与え、社会性という不自由な枠組みへと押し戻す。自尊心の低さから来る「自分は保護されるだけの存在だ」という甘えを排し、相互扶助の歯車として強制的に組み込むこと。この非対称で不透明な、時には「おせっかい」とさえ感じられる関係性こそが、停滞した原質に微細な位相差を生じさせ、凝り固まった自己否定の膿を削り落としていくのである。効率性を至上命題とする2026年の管理社会に対し、あえて他者の血と汚れ、そしてエゴのぶつかり合いを引き受けるこの泥臭い研磨の位相にのみ、真の自律知性は宿る。
3. 閉ざされた壁を越える「再起動」:絶望を美学へ昇華する贈与のロジスティクス
灰羽が最終的に手にする救済とは、空虚な浄化ではない。それは、苦痛と労働の果てに、壁の内側の生活から削り出された「真の名」という名の結晶(Crystallization)である。この結晶が放つ位相差こそが、去勢された母岩としての現代社会において、個が自律を回復するための唯一の火花となる。半径1メートルの聖域(アジール)の構築がいかに外部の干渉を遮断する免疫膜として機能するかを、最終位相として論証する。
3.1. 名による宣戦布告
ここにおいて、私たちは現代のデジタルIDと、『灰羽連盟』における真の名の間に決定的な位相差を見出さなければならない。2026年の私たちがシステムから付与されているIDやアカウントは、行政やプラットフォームが外部から抽象的に貼り付けた管理のための記号に過ぎない。それは可換であり、更新可能であり、個体の痛みや身体的摩耗を一切必要としないシミュラークルである。
対して、ラッカやレキが獲得する「真の名」は、身体の内側から滲み出た重い質量を持つ結晶である。それは、繭の中で見た夢の残滓、手話の動きに伴う筋肉の記憶、文字を刻む指先の触覚、そして羽が抜け落ちる際の熱と痛みという物質的な堆積を経て生成される。ここで、それらの夢がかつての「損壊の記憶」――落下や礫死といった非業の終焉――を宿しているという仮説を補助線として引くならば、真の名を名乗る行為は、自らの死の位相を主体的物語へと縫合し直す外科手術に他ならない。
マルティン・ハイデガーが『存在と時間』6 で説いた、死へと向かう先駆的な実存(被投性)のごとく、彼女たちの名は「自分が自分でしかあり得ない」という一回性の強烈な刻印である。名は他者に管理されるための識別装置ではなく、自らを忘却の呪縛から解放するための自己贈与(Self-Gift)として機能する。この、名が身体から肉体的な質量を伴って結晶するというプロセスこそが、情報の剥製と化した現代社会において、実存がリアリズムを奪還するための第一歩となるのである。
3.2. 消化されぬ異物
しかし、この結晶化を阻むのは、アジールが孕む「徹底した不親切さ」という名の恐怖である。グリの街を管理し、灰羽たちに「手話」でのみ意志を伝える「話さない人たち(灰羽連盟)」。彼らは灰羽たちの苦悩を救うわけでも、罪を許すわけでもない。ただ冷徹に、ルールを執行し、彼女たちの生を「観測」し、手帳に記録し続けている。
この、何も答えてくれない静寂という名の圧力こそが、本作における母岩(Matrix)の真の姿である。どれほど「剥き出しの原質」を叫び、不条理な意志を突き通したとしても、この世界はそれをただの「現象」として静かに飲み込み、淡々とアーカイブへと収めていく。自らの痛みが単なる「管理される日常」の一風景へと還元されてしまう絶望。この静かな回収に対し、実存はいかなる防衛線を築くべきなのか。
それは、回収のシステムに抗うことではなく、その只中で「決して消化されない石(異物)」であり続けることである。「話さない人たち」が灰羽たちの生を記録し、システムの一部として処理したとしても、そこには決してデータ化できない、肉を裂く羽の熱さや、自分自身の損壊を名乗った瞬間の「重み」が残る。世界が悲鳴を単なる記録(ログ)として処理しようとするならば、実存はその沈黙が耐えきれなくなるほどに、泥臭い自己記述と、他者への不透明なケア(扶助)を反復しなければならない。
これは敗北の容認ではなく、街という巨大な堆積層(Matrix)の底で、決して分解されない硬質な結晶を生成し続けるという、存在論的な抵抗の体現である。回収される運命の只中で、あえて「意味のない痛み」を記述し続けること。ラッカが井戸の底で、誰の耳にも届かないはずの暗闇に向かって「助けて」と叫んだあの瞬間の閃光は、システムの内部に「記述不能な領土」を確立するための点火剤となったのである。
3.3. 贈与としての破裂
ラッカが自らの原質アクセス回路を再起動させた瞬間、物語のベクトルは単なる自己完結を超え、他者への凄まじい贈与へと相転移する。自壊の淵で、塗り潰された記憶の小部屋に引き籠もるレキを救ったのは、崇高な自己犠牲精神などではない。それは、ラッカが自らを救おうとして放った実存の火花が、結果として隣人の絶望の皮膜を食い破り、共存のための新しいアジールを生成したのである。
この再起動のロジスティクスは、自らを救った外科的な技法(ケア)を携えて、再びこの不条理な世界へと踏み出すための武装である。壁の内側で行われた精密な自己記述とメンテナンス工程は、単なる安息ではなく、絶えず摩耗し続ける原質を自力で補修し続けるための備えに過ぎない。自らの物語を自らの痛みと共に確定させる不透明な自律知性を手にした個体は、もはや最適化という名の「静かな死」を断固として拒絶するだろう。
そして、この再起動が真に臨界点に達したとき、灰羽たちはついに、壁の内側で蓄積したすべての内圧を、空へと昇る一本の光の柱へと変換する。それは、自らの「名」という結晶が純度を増し、物理的な制約を突き抜けて生じる破裂(Rupture)の光景である。光輪が砕け、羽が脱落し、かつて自分を縛っていたすべての記号が剥がれ落ちるその瞬間、個体は「巣立ち」という名の絶対的な自由を手にし、重力に抗って空へと吸い上げられていく。
本稿で分析した『灰羽連盟』の生存戦略とは、閉鎖された空間の中で強固な防衛線を築き、損壊した原質を再結合させるための宇宙技芸であった。自らの欠落を攻略(ワークアウト)し、他者という砥石で自らを研磨し、ついには「名」という結晶を掴み取ること。この一連の手技こそが、管理という名の沈黙に抗い、自律した個として呼吸し続けるための、現代的な「扶助の兵法」の核心である。
壁の内側で行われたこの血まみれの補修作業を経て、実存は静かに、しかし決定的に更新される。私たちは再び、それぞれの持ち場へと戻り、自らの痛みを名乗り続ける。あの上昇する光の軌跡を、システムの外部へ逃げることではなく、システムの内側で磨き抜かれた「個」の最終的な勝利の形象として胸に刻む。その反復の先にのみ、誰にも侵されない真実の結晶が結ばれるのだ。
結論:敗北を内包した「不屈の研磨」がもたらす自律知性の光輪
本論考では、『灰羽連盟』における閉鎖環境を、個の原質(Primal Matter)を保護し再編するための外科的アジールとして捉え直した。壁の内側での重い労働、肉を裂く苦痛、そして過去の忘却に抗う自己記述という研磨の位相を経て、彼女たちが手にした「真の名」は、現代の抽象的なデジタル管理社会に対する極めて肉体的な抵抗の結晶である。
救済とは、どこか遠くにある最適化されたユートピアへ辿り着くことではない。それは、母岩(Matrix)の理不尽な圧力を利用して自らの内圧を高め、損壊した回路を自らの手で再起動(Reboot)し続ける泥臭い技術に他ならない。たとえ私たちのこの行為が、最終的には巨大なシステムの一部として回収される運命にあるのだとしても、その限界をあらかじめ飲み込んだ上で、私たちはこれからも自らを縫合し、冷却し、記述し続けるだろう。
この透明で狂った現実の中で、自律した知を持ち続けるために。責任を伴わない透明な多幸感に背を向け、不自由な規律という外骨格を纏い、痛みを伴う結晶を削り出すこと。RPGの攻略にも似た、あの孤独な外科手術と、絶望を美学へと反転させる意志の反復の果てにのみ、実存は重力を振り切り、光の柱となって上昇することができる。その時初めて、私たちは真の意味で、隣人の欠落を埋めるための補給線を敷くことができるのである。
次回の考察では、この再起動された実存が、いかにして他者の欠落を代行し、魂の栄養を補給する情愛のロジスティクスへと接続されるかを検証する。そこでは、自らを救った強靭な技法が、より泥臭い人間関係という戦場において、いかなる変容を遂げるかが問われることになるだろう。
- 「『PiCNiC』:透明な統治と「黒い羽」の装甲が導く破裂の兵法」では、境界を越える視線がいかにシステムの外部を幻視させるかを論じ、今回の壁の内側での補修へと論理を接続した。↩
- Jean Baudrillard, Simulacres et Simulation, Éditions Galilée, 1981. 日本語訳:ジャン・ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』(竹原あき子訳、法政大学出版局、1984年/新装版、2008年)。↩
- Peter Sloterdijk, Sphären I–III, Mikrosphärologie, Suhrkamp, 1998. 邦訳未刊。人間が生存のために自己を取り囲む免疫学的・心理的空間を構築するプロセスを記述した「泡」の理論。本概念のさらなる展開については、ペーター・スローターダイク『水晶宮としての世界: 資本とグローバル化の哲学のために』(高田珠樹訳、青土社、2024年)等の関連論考を参照されたい。↩
- Simone Weil, L’Enracinement, Gallimard, 1949. 日本語訳:シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと』(山崎庸一郎訳、春秋社、1998年、著作集版/新装版、2020年/上・下、冨原眞弓訳、岩波文庫、2010年)。↩
- Niklas Luhmann, Soziale Systeme: Grundriß einer allgemeinen Theorie, Suhrkamp, 1984. 日本語訳:ニクラス・ルーマン『社会システム理論』(佐藤勉訳、恒星社厚生閣、1993年)/『社会システム:或る普遍的理論の要綱』(上・下、馬場靖雄訳、勁草書房、2020年)。↩
- Martin Heidegger, Sein und Zeit, Max Niemeyer Verlag, 1927. 日本語訳:マルティン・ハイデガー『存在と時間』(上・下、細谷貞雄訳、筑摩書房、1994年/原佑・渡邊二郎訳、中央公論新社、全3巻、2003年/中山元訳、光文社、全8巻、2013-2020年/熊野純彦訳、岩波書店、全4巻、2013年/高田珠樹訳、作品社、2013年)。↩

