時代の構造を読む評論ブログ|文化的記憶を通して時を解く

『BLUE GIANT』:成功の檻と「アロスタティック負荷」の爆縮倫理

映画システムと規範の構造生存と生命の倫理アニメマンガ2020年代

本論考では、映画『BLUE GIANT』が提示する「世界一」という上昇志向を、野生の起動ではなく「制度への回収」という逆説的な視点から解体する。未来が確定しているビデオ演出を、情報理論におけるエントロピーの死であると同時に、世界を記述可能なものに閉じ込める「テクニクス(技法)」の支配と定義する。本来予測不能であるはずのジャズの野生が、権威という名の檻に飼い慣らされていく野暮ったさを指摘しつつ、パッケージ版や再上映に際して施された「200カット以上のブラッシュアップ」が露呈させる「肉体的な摩耗」と「非人間的な知性の工学」に、システムを内側から爆破する「魔術的現実」の残り火を見出す。

青春という名の熱狂が、いかにして制度の静寂へと回収されていくのかという、残酷なまでの上昇の記録を私たちは目撃している。

【青き巨星の吐息 記述を拒む振動】
作品データ
タイトル:BLUE GIANT
公開:2023年2月17日
原作:石塚真一
監督:立川譲
主要スタッフ:上原ひろみ・馬場智章・石若駿(音楽・演奏)、NUMBER 8(脚本)、高橋裕一(キャラクターデザイン・総作画監督)
制作:NUT

序論

本稿は、全5回にわたる連載企画【「脱出」としての倫理:計算と制約の外部へ向かう「自律的な生の野生」の起動】の最終回である。前回の論考『紙の月』では、銀行という閉鎖系システムとの同化がもたらす静かなる破滅を描いたが、本作『BLUE GIANT』が提示するのは一見、その対極にある「生の爆発」である。しかし、主人公が掲げる「世界一」という抽象的なアチーブメントは、映画の尺という制約の中で「制度への最適化」という安直な物語に回収されようとしている。本稿では、本作を単なる成功物語としてではなく、記述不可能な「魔術」と、肉体を損耗させる「知性の工学」が交錯する、凄惨な脱出の記録として読み解いていく。

1. 決定論的未来という名の「テクニクス」による支配

ジャズという即興(インプロビゼーション)の芸術を扱いながら、本作の映画的構造は驚くほど決定論的である。この構造的矛盾が、野生の去勢を予感させる。

1.1. 未来インタビューによる「魔術」の剥奪

劇中に挿入される、成功した未来の知人たちによるインタビュー演出は、物語の結末を「確定された過去」へと固定する強烈な楔として機能している。フェデリコ・カンパーニャ魔術1の定義を借りれば、世界を言語化し、予測可能にし、因果律の中に閉じ込める態度は「テクニクス(技法)」の支配である。対して、真のジャズとは、その場で何が起こるか分からない「マジック(魔術)」的な現実の現れであったはずだ。

しかし、このインタビュー演出は、マクスウェルの悪魔エントロピーの減少2が情報の不確実性を排除するように、観客から「今、この瞬間が失敗に終わるかもしれない」という魔術的なスリルを奪い去る。2026年の私たちが直面している予測モデルによる管理社会と同様に、物語はエントロピーの死(予定調和)へと向かってしまう。安心してみられるジャズ映画とは、即ち牙を抜かれた野獣の展示に他ならない。

1.2. 「世界一」という空虚なラベルのハック

宮本大が繰り返す「世界一のジャズプレーヤー」という言葉の解像度の低さは、単なる脚本の粗ではない。それは、既存の意味の場3におけるランク付けへの固執に見える。

しかし、ここで逆説的なアングルを導入しよう。この「世界一」というラベルの空虚さこそが、システムの追跡を免れるためのカモフラージュではないか。具体的なコンクールの一位や、数値化されたスコアを目指すことは、システムのアルゴリズムに従属することを意味する。だが、大が叫ぶ「世界一」には実体がない。それは2026年のSNS社会における計量可能な価値をハックし、その中心に「記述不可能な咆哮」を居座らせるための、原始的なマジックの言葉である。一位という称号すら、彼の野生を包み隠すための「重り」に過ぎないのだ。

1.3. 権威への従属と脱出の不全

物語は「So Blue」への出演を至上命題とするが、これはシステムからの「脱出」ではなく、システム内部での「昇進」に過ぎない。バタイユが提唱した蕩尽4とは、明日への投資も社会的地位の向上も度外視した、純粋なエネルギーの消費である。対して、彼らの演奏は、最終的には権威に承認されるための有用な通貨へと換金されていく。

現代のギグワーカーが「自由」を標榜しながらプラットフォームの評価システムに支配されるように、彼らの野生もまた、ジャズ界というプロトコルに承認されることで完了する。この一連のプロセスは、自律した知というよりも、資本への投資として機能してしまっている。

2. 非人間的な知性と肉体の工学

物語の骨格が権威への回収を志向する一方で、映画という媒体が保持する物理的なテクスチャは、その安直な論理を拒絶するように激しく振動する。

2.1. 肉体の再プログラミングとしての演奏

演奏シーンにおける、大の喉元の血管の怒張やマウスピースに溜まる唾液の粘り。雪祈の指先が鍵盤に叩きつけられ、肉が潰れる描写。これらをレザ・ネガレスタニの視点から捉え直せば、それは「感情の表現」ではなく、自律した知性を構築するための工学的な構築物5である。

サックスという西洋的な規律の塊(楽器・音階)を、自らの呼吸と筋肉の収縮によって再起動させる行為。それは人間的な「感動」のために行われるのではない。自らの身体という不完全なハードウェアを、ジャズという非人間的な論理構造に適合させるための、凄惨な宇宙技芸6である。大のサックスは楽器ではなく、自己の野生を外部へ出力するための「インターフェース」として再設計されている。

2.2. アロスタティック・オーバーロードの美学

生理学において、恒常性を維持するための動的適応を「アロスタシス」と呼ぶが、その過負荷による破綻はアロスタティック負荷7と呼ばれる。本作の演奏シーンにおける「画の汚れ」や「作画の崩壊寸前の線」は、この生理的な破綻を美的に昇華したものだ。

氷河期世代の私たちが抱える慢性的な疲労、システムに適応し続けることで蓄積された不可視の損耗。大の演奏は、その蓄積された負荷を一気に指向性を持った「音の暴力」へと転換する。成功という記号を突破するのは、洗練された理論ではなく、この「過負荷による爆縮」がもたらす物理的な衝撃である。再上映やパッケージ化に際して執拗に施された「200カット以上のブラッシュアップ」がもたらすテクスチャは、物語が要請する「きれいな成功」を、実在する肉体の痛みによって内側から食い破っている。

2.3. フィールド・オブ・センスの交錯と断層

本作を体験する際、私たちが抱く「物語の青臭さ」に対するある種の違和感は、個人の感傷ではなく、作品構造に刻まれた「断層」の現れである。

ここには、身体を震わせる「音響の場(魔術)」と、権威をなぞる「物語の場(テクニクス)」が、決して混じり合うことなく並存している。画が「成功」という既定路線をなぞろうとする一方で、劇中で鳴り響くサックスの物理的振動は、その物語的な意味を絶えず無効化し続ける。この二つの場の摩擦こそが、本作を単なる成功物語に留めない批評的な空間にしている。音が物語を追い越し、記号としての「世界一」という言葉を空虚なノイズへと分解していく瞬間。私たちはそこで、既存の権威(意味の場)に回収され得ない、真に「自律した野生」の残り火を目撃する。この「切断」の感覚こそが、2026年における自律した知の拠り所となるのである。

3. 祝祭的破壊への予兆と真の離脱

本作で提示された野生の不全と、肉体的な反逆は、来たるべき「生の奪還」に向けた不可欠な摩擦である。

3.1. 西洋的規律のハックと魔術的再定義

大が西洋楽器を用いながら既存の文脈を無視する音圧を繰り出す営みは、西洋近代的な技術体系を自らの生命力でハックする試みである。それは「ジャズを演奏する」のではなく、サックスという真鍮の筒を介して「魔術的現実」を召喚する行為だ。2026年のAIが全てを記述し尽くした「テクニクス(言語化可能な世界)」において、この記述不可能な咆哮だけが、システムに唯一開いた風穴となる。

3.2. 成功という静止からの真の脱出

プリゴジンが説く非平衡状態8のように、生命は平衡状態(ゴール)に達した瞬間に死滅する。したがって、本作の主人公たちが到達した「一位」という場所は、安住の地ではなく、次の破壊のための足場に過ぎない。一位という称号すら剥がれ落ちるような、純粋な非平衡状態への移行こそが、真の野生の目的である。青色巨星が最期に超新星爆発を起こし、既存の秩序を光の中に葬り去るように、彼らの音もまた、成功という名の静止を破壊し尽くさねばならない。

3.3. 祝祭的破壊への予兆と連載の総括

この「物語を切り裂く音」の正体は、上原ひろみ、馬場智章、石若駿という、現代ジャズの最前線に立つ演奏家たちの「剥き出しの知性」に他ならない演奏家たちの剥き出しの知性9に他ならない。彼らが放つ非線形なノイズや楽器を限界まで酷使する「アロスタティックな負荷」は、テクニクスでは記述不可能な実在の重みを、劇場という閉鎖空間に強制的に現出させる。

本連載がこれまで試みてきたのは、各時代の閉鎖系システムからの「脱出」の軌跡であった。擬似家庭のハックを試みた『超時空要塞マクロス』、肉体のテクスチャによる再野生化を描いた『もののけ姫』、車椅子の歩行術による自律を論じた『ジョゼと虎と魚たち』、そして制度の重力への敗北を記録した『紙の月』連載の変遷10

これらの変遷を経て到達した本作『BLUE GIANT』において、実在のミュージシャンたちが虚構のフレームを内側から食い破ったその衝撃は、上昇志向という近代の呪縛を根底から無効化する、最終的な「自壊」への序曲である。

結論:制度の灰の中から立ち上がる「野生」の倫理

結局のところ、宮本大が咆哮し続けるのは、ジャズの歴史を継承するためでも、既存の権威に認められるためでもない。それは、高度に最適化され、因果の連鎖に閉じ込められた2026年のこの世界において、唯一、計算不可能な「アロスタティックな破綻」を引き起こすための、肉体を用いた工学的ハックである。

成功という名の静止。これらは、野生が社会的な「意味の場」に翻訳される際に必ず生じる残差であり、私たちがまだシステムに完全には屈服していない証左でもある。真の「脱出」とは、用意された出口を見つけることではなく、出口を塞ぐ壁そのものを、音圧という非人間的な振動によって粉砕することに他ならない。

本作が示した「成功による閉塞」という摩擦熱は、いまや臨界点に達している。本連載を締めくくる最後の一撃は、上昇志向という近代の呪縛を根底から無効化する、祝祭的な「自壊」の記録だ。個の成功や成長という欺瞞的な物語を焼き尽くし、家庭という最小単位の帝国、すなわちシステムの最小細胞を内部から爆破する。

この「世界一」という咆哮の残響が消えぬうちに、私たちは真の最終局面へと身を投じなければならない。自律した知による最後の逆襲。それは、家族という「愛の重力」を振り切り、家屋そのものを宇宙へと射出する、あの凄惨な「逆噴射」の爆発音とともに、この連載の真の終わりを告げることになるだろう。

  1. Federico Campagna, Prophetic Culture, Bloomsbury Academic, 2021. 世界を記述可能な「テクニクス(技法)」の集積と見るのではなく、記述不可能な「マジック(魔術)」として再魔術化することを提唱する。
  2. Léon Brillouin, Science and Information Theory, Academic Press, 1956. 日本語訳:L.ブリルアン『科学と情報理論』(佐藤洋訳、みすず書房、1969年/新装版、2022年)。情報の選別がエントロピーの減少をもたらすと説く。
  3. Markus Gabriel, Warum es die Welt nicht gibt, Ullstein Verlag, 2013. 日本語訳:マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(清水一浩訳、講談社選書メチエ、2018年)。「意味の場」とは事物が現れる文脈の場を指すが、世界一という指標は単一の場への固執を示す。
  4. Georges Bataille, La Part maudite, Les Éditions de Minuit, 1949. 日本語訳:ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分──全般経済学試論・蕩尽』(酒井健訳、ちくま学芸文庫、1996年/新装版、2018年)/同『呪われた部分 有用性の限界──草稿・ノート 1941-1949』(中山元訳、ちくま学芸文庫、2003年)。有用性の計算に基づかない過剰なエネルギーの放出こそが、生命の本質的な至高性を回復させると説く。
  5. Reza Negarestani, Intelligence and Spirit, MIT Press, 2018. 知性を人間特有の属性ではなく、規律ある論理的プロセスの「工学的な構築物」として再定義する。
  6. Yuk Hui, The Question Concerning Technology in China: An Essay in Cosmotechnics, Urbanomic, 2016. 日本語訳:ユク・ホイ『中国における技術への問い――宇宙技芸(コスモテクニクス)試論』(伊勢康平訳、ゲンロン、2022年)。技術を特定の宇宙論と再結合させる概念。
  7. Peter Sterling and Joseph Eyer, “Allostasis: A New Paradigm to Explain Arousal Pathology”, Handbook of Life Stress, Cognition and Health, John Wiley & Sons, 1988. 生体が変化に対応するために払う「適応のコスト」であり、過剰な負荷はシステムの崩壊を招く。
  8. Ilya Prigogine and Isabelle Stengers, La Nouvelle Alliance: Métamorphose de la science, Gallimard, 1979. 日本語訳:イリヤ・プリゴジン、イザベル・スタンジェール『混沌からの秩序』(伏見康治ほか訳、みすず書房、1987年/新装版、2025年)。平衡から遠く離れた非平衡状態でこそ、新たな秩序が自己組織化される。
  9. 上原ひろみが音楽監督を務め、馬場智章(サックス)、石若駿(ドラム)らが演奏を担当。彼らの演奏は映像を圧倒する独立したエネルギー体として機能している。
  10. 『超時空要塞マクロス』では擬似家庭による野生の起動を、『もののけ姫』では呪いの等価交換による再野生化を、『ジョゼと虎と魚たち』では車椅子の歩行術による自律を、『紙の月』では制度の重力への敗北を論じた。
プロフィール
トキクロ

「時クロニクル」主宰。氷河期世代の視座から、1980年代〜2020年代のアニメ・マンガ・映画に刻まれた文化的記憶を分析し、その制度・形式・思想の層を再編するカルチャーワーカー。五色の年代ローテーションに沿って、各時代の記憶を原石として位置づけ、批評的な研磨を通じて一つの構造へと結晶化する。三か月単位のシーズンと週次のテーマを軸に、失われた三十年に沈殿した世代的条件を再文脈化し、文化資本に基づく知的実践として時の構造を読み解く。

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