なぜ、私たちはあの凄惨な破壊の映像美に心を奪われたのか。 本稿は、【倫理とシステムの崩壊史:時代と共に変異する『悪意の主体』への生存戦略】 最終回:「大義のための暴力の成立と倫理的限界」として、『呪術廻戦』渋谷事変が突きつけた、単なるエンターテイメントとしての興奮ではなく、「大義」の名の下に「人道の規範」がコストとして切り捨てられる瞬間の痛ましい記録を追う。本論考シリーズ【時クロニクル】が追跡してきた『悪意の主体』は、ついに特定の個人や思想から、『負の感情を内包したシステム』そのものへと変異する最終段階に到達した。
実際、本稿執筆時点(2025年11月)でも、『劇場版 呪術廻戦「渋谷事変 特別編集版」×「死滅回游 先行上映」』が公開され、アニメ第2期の一挙無料放送という巨大な興行が展開している。本稿は、この崩壊史の最終結論として、規範の機能不全(テクスト)、暴力の美学(受容)、そして制作背景の構造的相似性(メタ)という三層の分析から、このシステム的な再消費構造が引き起こす「倫理的コストの算定」の不可避性を厳密に解析する。
序論
本稿は、芥見下々によるマンガを原作とし、MAPPAがアニメ制作を手掛けた『呪術廻戦』(アニメ第2期「渋谷事変」は2023年放映)を主要な分析対象とする。本作は、原作の発行部数が全巻累計1億部を超え1、アニメ、映画、ゲーム、舞台といった広範なメディアミックス展開を伴う、現代日本を代表する「巨大システム」である。この巨大性が、後述するメタ批評の論拠ともなる。
これは、現代日本のアニメが提示した、未曽有の規模での「規範システムの終焉」事例である。
本論考シリーズ【時クロニクル】は、日本のアニメ史・映画史を通じて『悪意の主体』がどのように変容し、システムの倫理を侵食していったかという、構造的な歴史を追跡してきた。この批評的接続は、個別の作品のテーマの抽象化に留まらず、時代背景を超えて「倫理的崩壊の構造」がどのように反復・進化したかを検証するために必然的に採用される手法である。
それは、『パトレイバー the Movie』における「システムの内部に仕込まれた悪意(論理の純粋性)」から始まり、『CURE』における「構造的疲弊による悪意の伝染」、『DEATH NOTE』における「倫理の私有化によるシステムの自壊」へと展開した。[前回の論考]では、『告白』における規範の不在が、いかにして集団的な「毒的な規範」の連鎖を引き起こすかを分析した2。
今回の「渋谷事変」では、これらの倫理的・構造的崩壊の要素が統合され、一つの巨大なシステム崩壊として結実する。
構造的悪意の統合:
- 『パトレイバー』が描いた「論理の純粋性」は、「大義」という名の純粋な目的へと昇華された。
- 『CURE』の「構造的疲弊」は、呪術界の「負の感情のシステム化」として具現化し、呪術師も呪力という負の要素を用いるという構造的な自己矛盾を抱える。
- 『DEATH NOTE』の「倫理の私有化」は、五条悟という個人への過度な規範の依存として帰結した。
- そして『告白』の「規範の不在」は、五条封印による秩序の最終的崩壊を意味する。
渋谷事変は、この矛盾が爆発し、「システムを維持するという大義」が、「個人の人道的な倫理」を無慈悲に踏み潰していく過程を詳らかにする。
1. 規範の機能不全と倫理的コストの再算定
1.1. 「最強の規範」五条悟の喪失とシステム依存の構造
物語の中核を成すのは、呪術界最強の術師である五条悟の存在である。彼の圧倒的な戦闘能力は、事実上、呪術界の秩序と非術師社会の安全を保証する「最強の規範」、すなわち「システムの屋台骨を支える大黒柱」として機能していた。彼の「無量空処」の発動時には、非術師を巻き込むことを避け、一瞬の展開に抑え込んだという事実は、彼個人の倫理がシステムの「人道的な閾値」を規定していたことを示す。しかし、アニメ第2期第9話(通算33話)「渋谷事変 開門」で彼の封印が実行された瞬間、この規範はシステムから物理的に排除される。この事態は、規範が個人の倫理や内省ではなく、単一の強力な個人の力(五条悟)に過度に依存していた構造的欠陥を明確に示唆する。
1.2. 規範不在の連鎖と上層部の冷酷な判断基準
五条悟の不在をもって、システムは「非術師を切り捨てる」という新たな、より冷酷な判断基準を即座に適用した。この判断は、現場の呪術師個人が望んだものではなく、システム上層部によって不可避の命令として下されたものである。例えば、特級呪術師の九十九由基が、自身の行動基準として「非術師を大量に救う」という大義を掲げながらも、極限状況下で「効率」を優先せざるを得ない状況に追い込まれた事実は、システム全体が人道を度外視した効率主義へと転換したことを示す。
1.3. 非術師の命の「コスト化」とトロッコ問題の強制
この規範の不在は、即座に「非術師の命の倫理的コスト」の再算定を引き起こした。五条の封印後、極限の混沌に陥ると、非術師の命は「呪いを祓うという大義を遂行するためのやむを得ない犠牲」へと変容し始める。現場の呪術師は、一人でも多くの非術師を救うという「個人の人道的倫理」と、渋谷の崩壊を防ぐという「システム維持の大義」の間で、毎瞬、トロッコ問題の選択を強制された。七海建人や日下部篤也といった実力者たちが、非術師の安全確保を断念し、「呪いを祓う」という主要任務に回帰せざるを得なかった状況こそ、システムが「人道の遵守」という非効率な倫理原則を凌駕する、深刻な機能不全が露呈した決定的な瞬間であると考察される。ここに、「大義の達成」という効率主義的論理が最終的に勝利したと結論づける。
2. 暴力の美学:映像の過剰性が奪い取る倫理的判断の時間
2.1. 表現倫理の差異:静止画の「内省」と動画の「快感」
本論の核心である「暴力の美学」の解析に入る前に、原作であるマンガ(テクスト)とアニメ(映像)が、倫理的受容に与える差異を明確に定義する必要がある。原作マンガは、静止画とモノクロームという特性上、読者に「間(ま)」を与え、モノローグ(言葉)を通じて倫理的な内省を行う余地を残していた。
対照的に、アニメ版はMAPPAによる過剰な作画クオリティと音響演出により、凄惨な出来事を色彩と動きの「美学」として情動的に突きつける。この「美学の過剰性」は、マンガの持つ抽象性を低減させ、視覚的快感を優位にする。アニメでは、ナレーター(語り)が時に客観的な状況説明を加え、さらに戦闘シーンで頻繁に用いられるジャズ調のBGMが、凄惨な描写に「クール」でリズミカルなトーンを付与する。特に渋谷地下鉄空間におけるネオンサインや蛍光灯の光の描写、実写素材の取り込みを思わせるような背景のリアリティ3は、血しぶきを含みながらも「スタイリッシュな表現様式」を志向している。これにより、観客は倫理的な嫌悪感を覚える前に、美学的な興奮へと誘導される。
2.2. 美学成立による「倫理的思考」の奪取と認知の偏向
凄惨な殺戮や非術師の無差別な犠牲といった非人道的な出来事が、極めて高度な「芸術的表現」としてパッケージングされることで、視聴者はそれらを「物語のクライマックス」として無批判に消費してしまう。この美学の成立は、倫理的思考の時間を観客から奪う構造と表裏一体にある。
この現象は、「情動的処理による認知的負荷の偏向」という批評的造語によって説明される。映像の美しさが、人間の脳内で倫理的な検証を司る領域よりも、快感や興奮を司る領域を優位に刺激し、倫理的な判断を意図的にスキップさせる効果を持つ4。近年の受容傾向として、SNS上での議論が「(倫理的な是非ではなく)作画クオリティ(美学)」に圧倒的に集中していた事実は、映像の興奮が倫理的検証を後景化させたことを客観的に示唆している。
2.3. 虎杖悠仁の規範崩壊と「内在する悪意」としての宿儺の役割
主人公である虎杖悠仁の規範崩壊は、外部からの圧力だけでなく、「内在する悪意のシステム」たる両面宿儺によって決定的に遂行された。彼は当初「人殺しをしない」という明瞭な規範に依拠していたが、渋谷事変において、瀕死の状態に追い込まれた際に宿儺の指を大量に取り込まされ、肉体の主導権を奪われる。
呪いの王・宿儺は、虎杖の体で非術師を無差別に虐殺し、その凄惨な結果を「器」である虎杖に強制的に経験させる。この行為は、単なる戦闘行為ではなく、虎杖の「人を助けるという核となる倫理」を、自身の肉体を通じて根源から否定するという極めて悪辣な精神攻撃である。
この体験の結果、虎杖の規範は、個人的な道徳観から、「負の力によるシステムのさらなる崩壊を阻止する」という、より大きな「大義の執行者」としての論理へと再構築される。彼の暴力は、個人的な復讐ではなく、「システム維持のための執行」という論理に帰結する。個人の倫理は「大義」によって完全に上書きされ、「人道的限界」は、「システムの生存戦略」の前で無効化されたと結論づける。宿儺の存在は、システムの崩壊を個人の精神の崩壊として刻み込むための「内なるトリガー」として機能したと分析される。
3. メタ批評:システムが強いる「二重の呪い」と倫理の欺瞞
この「大義のための倫理の崩壊」というテーマは、作品を取り巻く現実の制作環境およびキャスティングの論争によって、メタ的に補強された。これを「二重の呪い」、すなわち「作品と制作環境の間の構造的なホモロジー(相似性)」として最終的に規定することが可能である。
3.1. 「利益なき繁忙」の極致:アニメ制作の構造的疲弊と倒産
アニメの「最高のクオリティ」は、制作スタジオMAPPAの現場における「過酷な労働環境」の告発と不可分の関係にある。市場規模が拡大する一方で、帝国データバンクの調査(2024-2025年)によれば、制作会社の多くが赤字に陥るという近年のデータ5は、「利益なき繁忙」の構造を裏付ける。これは、まさに本連載で過去に論じた『CURE』の「構造的疲弊」が、現代のクリエイティブ産業システムにおいて最も顕著な形で現出した事例である。「最高峰の映像作品を生み出す」という芸術的「大義」が、その裏側で、「労働基準や人権という労働倫理の崩壊」という犠牲の上に成立していたとすれば、これは作品テーマの現実世界における構造の忠実な反復として解釈される。
3.2. 制作環境におけるグローバルな「欺瞞」:外国人アニメーターの告発
制作現場の過酷さは、日本人だけでなく、高クオリティを支える外国人アニメーターへの影響を通じて、さらにグローバルな問題として提起された。特に、フランス人アニメーターによる過酷な納期や劣悪な労働条件の具体的な告発6は、「グローバルスタンダードを無視した大義」の欺瞞性を浮き彫りにする。高クオリティという成果は、国境を越えたクリエイターの「献身」という名の構造的犠牲によって成り立っており、倫理的な犠牲の上に大義が成立するという、作品内で描かれた構造が、現実世界で反復されたのである。
3.3. 声優スキャンダルと「欺瞞の肉体」:虚像の崩壊とシステム的再消費による倫理的痛覚の麻痺
主要キャストの一人である夏油傑の声を担当した櫻井孝宏のスキャンダルは、「人気声優」という公的な「虚像・大義」の裏で、「個人の倫理(誠実さ)」が長期間にわたり欺瞞に満ちていたという事実を露呈させた。夏油傑は、かつて五条悟と並び最強を誇りながら、最終的に「非術師を猿と見なす」という歪んだ大義のために決別し、自身の肉体もまた、五条悟最大の因縁の敵である羂索(けんじゃく)によって乗っ取られ、「欺瞞の肉体」として利用される。「肉体の倫理的崩壊」と「虚像の倫理的崩壊」が、キャラクターとキャストという二つのレイヤーで相似的に発生したのである。もちろん、「作品の価値と個人の倫理は別である」という対立意見は存在する7。
そして、この「システムと倫理の相似性」は、作品の商業的再生産構造において決定的に繰り返される。本稿執筆時点で展開されている『劇場版 呪術廻戦「渋谷事変 特別編集版」×「死滅回游 先行上映」』の公開と、それに伴うアニメ第2期全話一挙無料放送という巨大な興行は、凄惨な出来事を「特別編集版」として、さらに「エンターテイメント商品」として再パッケージングし、大衆に「再消費」させる構造を生み出している。第2章で論じた「倫理的思考の奪取」が、システムによって意図的に反復される。これは、作品のテーマである「規範の不在」と「人命のコスト化」を、巨大な商業システムが現実において「コンテンツの再生産」という形で反復し、視聴者の倫理的痛覚を麻痺させながら消費を継続させるという、現代コンテンツシステムの極めて冷酷な構造を、最も象徴的に示す事例であると総括される。
結論
「渋谷事変」は、『悪意の主体』が『負の感情を内包したシステム』へと最終的に変異し、そのシステムが『大義のための生存戦略』によって自壊し、『倫理の完全な破綻』に至るまでの崩壊史を、これ以上ないほどに鮮烈に描き切った。
本連載が追跡してきた、「個人の倫理崩壊」から「構造的な倫理の不在」に至るという系譜は、ここに一つの壮絶なクライマックスを迎えたと結論づける。原作マンガが全30巻をもって既に完結し、アニメ第3期となる「死滅回遊」編が2026年1月から放送予定である。この先の物語は、渋谷事変で失われた大勢の命と規範の崩壊を背負い、さらに過酷な「生存競争」のシステムへと突入していく。すべてが収束不能なカオス状態へと転落し、巨視的な規範が信頼性を失ったとき、私たちの探求の視点は、必然的に「最も小さく、最も守られるべき単位」へと収束せざるを得ない。私たちが次に見つめるべきは、極限状況下における家族という最小単位の倫理と献身の限界である。戦時下の世界において、その深淵を分析する。
- 『呪術廻戦』原作マンガ発行部数(2024年9月時点のデータ)、シリーズ累計発行部数は1億部を突破している。この数字は、日本国内における作品の商業的、および社会的影響力の巨大さを示す客観的な指標として、本論考における「巨大システム」という定義の重要な根拠となる。↩
- 本連載の過去記事は、『パトレイバー the Movie』、『CURE』、『DEATH NOTE』、『告白』から参照可能である。前回記事『告白』では、法や倫理といった公的規範が機能不全に陥った際、個人の道徳観や復讐心が「私的な規範」として暴走し、他者を巻き込みながら「悪意」が伝染していくプロセスを分析した。本稿は、この「規範の不在」状態が極限に達し、システム全体が崩壊する最終局面に接続する。↩
- ここでは、キャラクターの皮膚の質感よりも、閉鎖空間としての渋谷の街並みや地下鉄内部のディテール、照明効果の緻密さが優先されている。↩
- この用語は、心理学における感情と認知の関係性を論じる文脈、特に「認知的負荷(cognitive load)」が高まる状況下で、「情動(emotion)」が判断や処理を優位に導くという既知の現象を基に、本論考で『呪術廻戦』の表現構造を解析するために応用・定義されたものである。↩
- 帝国データバンクの「「アニメ制作市場」動向調査2025年」によると、元請制作会社の6割が「業績悪化」(減益・赤字)となっており、制作コストの高騰を価格に転嫁できない「利益なき繁忙」状態に陥っていることが指摘されている。↩
- 『呪術廻戦』の制作に携わった国内外の複数のクリエイターが、SNS等を通じて過度な労働時間や短い納期といった労働環境の問題を訴えた。特に海外クリエイターの訴えは、日本の制作体制がグローバルスタンダードを無視しているという批判に繋がった。↩
- 事実、NHKなどの大手メディアも、2023年後半から、出演者の不祥事を理由とした配信停止を原則行わない方針を明示しており、この「分離」は社会的なコンセンサスとなりつつある。この方針変更については、NHKが2023年7月26日に、出演者の不祥事を理由とした過去番組の配信停止を原則行わないとする方針を打ち出し、その出演作品の配信を再開したことが広く報道されており、民放各局の配信サービスにおける同様の対応と合わせ、「作品と個人の倫理の分離」という社会的なコンセンサスを形成する重要な動向となっている。↩

