時代の構造を読む評論ブログ|文化的記憶を通して時を解く

『Perfect Days』:静的な充足と「動的抵抗の終焉」

映画生存と生命の倫理精神と内面の構造2020年代

ウィム・ヴェンダースの2023年公開の映画『Perfect Days』を題材に、現代社会が直面する「日常の反復と静的な充足」という根源的なテーマを掘り下げて探求する考察である。破壊を経ずにいかに日常の反復の中に充足を見出すかという倫理的な問いかけを、哲学および社会学の視点から分析し、現代社会における「反復と受容の思想」が持つ意義を考察する。

【孤独な審美と、非同期な光景】
作品データ
タイトル:PERFECT DAYS
公開:2023年12月22日(日本)
監督:ヴィム・ヴェンダース
脚本:ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬
主要スタッフ:役所広司(製作総指揮)、フランツ・ルスティグ(撮影)
制作:MASTER MIND

序論:熱狂の終焉と「静的なテーマ」の台頭

[前回の論考]が扱った「動的な抵抗」の熱量が冷めた現代社会において、個人が直面するのは、「孤独と受容」という根源的なテーマである1。情報過多で流動的なデジタル社会で自己の「場所」(トポス)を見失いがちな現代人にとって、内面的な均衡の探求が喫緊の課題となる。

ドイツの巨匠であるウィム・ヴェンダースが東京を舞台に制作した『Perfect Days』は、この課題に対する一つの実践的な解答を提示した。本作は、第76回カンヌ国際映画祭で主演の役所広司が男優賞を受賞したほか、「人間の内面を豊かに描いた作品」に贈られるエキュメニカル審査員賞を受賞し、さらに2024年の第96回アカデミー賞では日本代表作品として国際長編映画賞にノミネートされた。この国際的な評価は、本作が描く日本の文化的深淵に根ざした「静的なテーマ」の普遍性が、現代の国際社会に深く響いていることを証明する。平山の静かな日々の反復は、前回の「動的な逸脱」の終焉と対比される、現代を生き抜くための「能動的な受動」の哲学として位置づけられる。

1. 対立軸の構築:動的な抵抗(アンチテーゼ)の現実と疲弊

平山の「静的な充足」の思想的優位性を確立するため、現代における「動的な抵抗」の現状を具体的に批判的に描写する。現代社会の抵抗エネルギーは、しばしばデジタル・アクティビズムや加速主義的な消費・投資行動といった形で現れる。

SNS上のデジタル・アクティビズムは、迅速な問題提起と可視化というメリットを持つが、永続的な「接続状態」(オンライン・ステータス)を要求し、個人を絶え間ない情報更新と感情の波に晒す。これは「動的な疲弊」を生み、個人の内面的な充足を妨げる。また、仮想通貨やデイトレードなどの加速主義的な行動は、短期的な経済合理性を追求するが、自己の判断を外部のアルゴリズムや他者の感情に委ねることで、内面的な自由を犠牲にする。

平山の生活は、このような外部依存的で動的な価値観と正面から対決する。彼の思想は、外部の熱狂から完全に離脱し、自己の内で完結する「静的な充足」を実践することで、現代の動的な疲弊に対する最も困難かつ根源的なレジスタンス(抵抗)を提示していると私は主張する。

2. 反復と充足の思想:氷河期世代の視点による「能動的な受容」

平山の生活は、東京の公共トイレ清掃という、具体的な「反復行為」によって成り立っている。この反復を、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』(Le Mythe de Sisyphe)と接続し、不条理な反復を軽蔑とともに受け入れる瞬間に「幸福」を見出すという既存の解釈2は適切である。

しかし、2025年における再解釈として、私はここに氷河期世代の視点を重ねる。私たち氷河期世代の多くは、社会的な「動的な成長のレール」から意図せず外れ、「意図しない逸脱」を経験した。

重要なのは、平山の低コスト生活が「選ばれなかった人生」を、外部的な評価軸から切り離し、「選んだ人生」として能動的に引き受け直すための思想的なモデルとなり得る点である。氷河期世代の非正規雇用者は、その多くが経済的・将来的な不安を抱えながらも3、生産性や給与以外の価値(例:勤務地限定、時間的自由)を重視する傾向を持つ。平山の思想は、この「意図しない逸脱」を「能動的な受容」へと転換させ、存在論的な労働の再定義を促す。

3. デジタルとアナログの対比と「充足」の経済的持続可能性

平山が愛好するカセットテープ、紙の書籍、フィルム写真といったアナログな生活様式は、現代の「デジタルに疲弊した社会」(デジタル・ファティーグ)への鋭い示唆となる。デジタルが「無限のアクセスと即時性」を提供するのに対し、アナログは「有限性、手触り、待機」を強いる。

このアナログ趣味は単なるノスタルジーではなく、「意図的な非同期性」(デシンクロナイゼーション)の論理として再価値づけられる。これは、情報洪水からの自己防衛であり、自己の存在論的な確からしさを再構築する静かな試みである。本作が2023年に公開され、日本の批評家から高く評価された点4は、社会がこの「非同期性」への潜在的な欲求を持っていることの証明である。

一方で、平山の「静的な充足」が成り立つための経済的持続可能性についても考察が必要である。平山の充足は、ミニマリズムが持つ環境負荷の軽減や経済的節約というメリット5に依拠するものの、その根底には東京の公共サービスに携わる清掃員という安定した公的労働がある。彼のモデルは、「安定した経済基盤の上で成立する、能動的な消費の否定」であると定義すべきである。この経済的基盤の違いを無視すれば、平山の充足は不安定な非正規雇用者にとって「強要された静止」となり、普遍的な規範として提示する上で論理的な困難が生じる。

4. 影と孤独の哲学:西田幾多郎の「場所の論理」

劇中で重要な役割を果たす「影」や「木漏れ日(こもれび)」の描写は、深い哲学的意味を帯びている。これは、日本文化における「侘び寂び」(Wabi-Sabi)の美意識6、すなわち「不完全、無常、簡素」の中に本質的な美を見出す態度と直結する。

この「影」や「場所」の哲学は、西田幾多郎の「場所の論理」7と接続し、平山の孤独を再定義する。平山が自らの居場所や清掃する空間を静かに受容し、その「影の中」に安寧を見出す行為は、社会的な関係性によって定義される「公的な自己」ではない、「何ものでもない自己」を徹底的に受容する中で獲得される、強固な内的自由である。

この孤独は「孤立」と区別され、競争原理が及ばない自己の根源的な場を哲学的に確保する行為としての「能動的な孤独」の強さと論じられる。この能動的な孤独こそが、平山の静的な充足を支える根本的な「個のサバイバル論理」である。

結論

「動的な破壊」を通して抵抗のエネルギーが放出された後、現代社会が到達すべきは、「静的な受容」の思想であると結論づける。ウィム・ヴェンダースの『Perfect Days』は、清掃という反復行為、アナログな生活、そして「影と木漏れ日」という微細な自然現象の受容を通じて、破壊を経ずに「日常の反復の中に充足を見出す」という新たな規範的範疇を提示した。

この作品の真価は、私たち氷河期世代が経験した「動的な機会の喪失」を、能動的な受容へと転換するための思想的な座標軸を与えた点にある。平山の思想は、現代社会の動的な抵抗と明確に対立し、過剰な成長や消費を求められる時代に、いかにして自己の場所を見つけ、不条理を受け入れながら生を全うするかという根源的な問いへの解答となる。

しかし、この「個のサバイバル論理」が成立した後も、集団との断絶は解消されない。平山は、同僚による些細な金銭的干渉や身内からの個人的な摩擦といった、日常的な介入には耐えられた。

だが、その「内なる静謐」は、大規模な集団の存亡や、一人の独善的な指導者による破壊的介入といった、巨大な狂気に直面したとき、いかに脆弱なのだろうか。

静かな水面下で完結していたはずの個の生存は、対照的な行動規範を突きつけられたとき、いかなる意味を持ったのか。視点を転換し、個の生存が宇宙的な規模で展開される、生存を賭けた集団の論理へと接続されていく。

  1. 前回の論考は、『惡の華』:システムの閉塞が暴く「クソムシ」と「変態」の精神構造である。本稿における議論は、同論考が扱った「集団内部の閉塞」というテーマから、本作品『Perfect Days』における「動的社会からの能動的な離脱(静的な充足)」というテーマへの批評的視点の転換を意図している。
  2. アルベール・カミュ。『シーシュポスの神話』(1942年)。「不条理の意識」と「反復への軽蔑を通じた幸福の獲得」という、平山の反復行為を哲学的に解釈する上での根幹的な論旨。
  3. 内閣府の就職氷河期世代に関する実態調査報告書に基づくデータ。不本意な非正規雇用労働者の約95%が年収400万円未満であり、特に中心層では半数程度が年収200万円未満という極めて厳しい経済状況にある。この層が高い割合で将来への不安を抱えていることは、平山の能動的な「静的な充足」とは対照的な経済的・心理的状況を示す(詳細は内閣府 調査報告書のPage 7を参照)。
  4. 映画の公開時期(2023年)と日本のミニシアター・批評家による論評。本作は、「現代の生き方」への示唆とデジタル疲労への処方箋として広く評価され、国際的な映画祭やアカデミー賞ノミネートに至った。
  5. ミニマリズムの実践に関する考察。資源の節約と消費の抑制に直接つながり、SDGs(持続可能な開発目標)が掲げる環境負荷の軽減と持続可能性(サステナビリティ)に貢献する側面がある。
  6. 日本の伝統的な美意識である「侘び寂び」(Wabi-Sabi)。不完全さ、無常、簡素の中に美を見出す美学的な原理。
  7. 西田幾多郎。『善の研究』(1911年)をはじめとする著作群から導かれる「場所の論理」(場所的論理、トポス的論理)の概念。主客未分以前の根源的な経験の場を指し、平山の孤独を「何ものでもない自己」の受容として哲学的に位置づける土台となる。
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