時代の構造を読む評論ブログ|文化的記憶を通して時を解く

『SPY×FAMILY』:機能的契約と「愛のドライな役割」

映画システムと規範の構造アニメマンガ2020年代

『SPY×FAMILY』が描く「契約家族」の姿は、現代の人間関係における冷徹なリアリズムを映し出している。本論考は、東西の緊張状態という設定が必然としたドライな「機能的無関心」の倫理を解析する。情緒的なつながりよりも役割の遂行が優先される社会で、役割を演じ続けることで疲弊した現代の感情労働は、ロイドが体現する合理的な生き方に、ある種のリアリズムを見出す。日本のつながりの流動性、そして「演じられる家族」が映し出す現代のリアリズムを、社会学的な視点から読み解き、機能的家族論を提唱する。

【冷たい光と、愛の仮構】
作品データ
タイトル:SPY×FAMILY
公開:2022年4月9日(放送開始)
原作:遠藤達哉(マンガ『SPY×FAMILY』)
監督:古橋一浩
主要スタッフ:嶋田和晃(キャラクターデザイン)、浅野恭司(総作画監督)
制作:WIT STUDIO、CloverWorks

序論:情動の時代から機能の時代へ

遠藤達哉による『SPY×FAMILY』は、東西冷戦を思わせる架空の時代を舞台に、スパイ、殺し屋、超能力者という異質な三者が「家族」という役割を演じる契約を結び、共同生活を送る物語だ。

この作品の構造には、かつて日本のフィクションを席巻したウェットなロマンティシズム([前回の分析]を参照)からの、明確な決別が読み取れる。愛は主役ではなく、任務、役割、契約というドライな合意の上で人間関係を再定義しようとする、現代社会の「機能的リアリズム」を象徴している。この構造は、終身雇用の幻想が崩壊した後の就職氷河期世代が、自らの生存を通じて鋭敏に体感してきた市場原理という生存の論理に他ならない。情熱や倫理が機能に取って代わられた時代のリアリティが、このフィクションの骨格を成している。

本稿は、社会学の理論を一つの道具立てとして利用し、この日本のコンテンツの構造が、グローバルな新自由主義社会の中で、日本を含む現代人が共通して直面する人間関係の機能化をいかに鋭く捉えているかを論証する。

1. ウェットなロマンティシズムとの決別

1.1. 「超越的な愛」の敗北と機能的無関心

2010年代のフィクションは、運命論的な愛や、超越的な力によって個人の情熱が世界全体を救済するという、極めて情動的でウェットな物語に強く支えられていた。

しかし、『SPY×FAMILY』において、ロイド・フォージャー(〈黄昏〉)の行動原理は、個人の情熱とは真逆の徹底した機能主義に貫かれている。彼の目的は、任務を通じて「世界の安寧」という社会的な機能を達成することであり、そのために家族という役割を演じる契約を結んだ。

ロイドは「情に流されるな」と常に自分に言い聞かせ、感情をノイズとして扱う1。これは、彼が意識的に愛を機能に劣後させていることを示す。同僚フィオナ(〈夜帷〉)のロイドへのウェットな恋心は、物語の構造上、単なる任務の障害として排除される。フィオナの熱烈な愛は、ロイドの機能的無関心という壁に打ち砕かれ、愛という情動的な要素が、システムを維持するための「機能」に敗北するという、現代的な構造の明確な現れである。

1.2. 冷戦設定が必然としたドライな契約の倫理

物語の舞台である東西冷戦下の対立構造こそが、ロイドの「戦争を回避する」という行動原理を、個人の感情を超えた「究極の機能(大義)」として絶対化している。

社会学における機能主義が示すように2、社会システムは各構成要素が特定の機能(役割)を果たすことで維持される。フォージャー家というシステムは、極限の社会不安があるからこそ、「平和のための道具」、すなわち機能として存在することを求められる。この構造において、「家族愛」という個人的感情よりも「社会の機能的安定」が上位に置かれるという、ドライな契約の倫理が成立する。

2. 現代社会における機能的リアリズムの解析

2.1. 「契約家族」が映す日本の繋がりの流動性

ロイドとヨルの「契約結婚」は、血縁や愛ではなく「互いが求める機能(ニーズ)」を基盤とする現代の人間関係を極端にモデル化したものだ。

現代社会における人間関係の構築は、機能的な効率性を強く求めている。この傾向は、日本国内におけるマッチングアプリの利用増加によって客観的に裏付けられる。複数の社会調査報告は、現代の利用者が恋愛感情よりも「ライフスタイルへの適合」や「経済的な安定性」といった機能的・合理的な条件を重視する傾向を共通して示している3。フォージャー家が「任務の遂行」と「社会的な体裁の維持」という明確な機能の一致で結ばれているように、現代の繋がりもまた、情動よりも機能の合意から出発している。

この効率性は、関係の不安定化も招いている。コンフルエント・ラブの概念が示すように4、関係は常に流動的で再交渉可能であり、他の可能性と比較され続ける。愛が液状化(リキッド・モダニティ)し5、固定的な基盤を失いつつある現代社会において、契約は一時的な安定を提供する脆い装置でしかない。

2.2. 演じられる家族:感情労働による役割の疲弊

フォージャー家の三人が「理想の家族」という役割(機能)を演じる行為は、現代社会で一般化している感情労働(エモーショナル・レイバー)の極端なケースとして分析される。

社会学者アーリー・ホックシールドが定義した感情労働6は、ロイドやヨルが内面の真の自己を隠し、「優しい父/穏やかな母」という組織と社会が求める感情を演じ続ける構造そのものだ。彼らが負う機能の遂行と真の感情との間の深い乖離は、「システムに使い捨てされない」ために、自身の感情を商品化し、過剰な役割を演じ続けた氷河期世代の自己消耗の経験と深く共鳴する。

彼らが時折見せる「役割と自己との乖離」に苦悩する姿は、機能に縛られた現代人の役割疲労を代弁している7。この構造は、愛ではなく機能や経済的安定に傾くことで生じる人間性の希薄化という倫理的な問いを、静かに内包しているのだ。

結論:『SPY×FAMILY』と機能的家族論の提唱

『SPY×FAMILY』は、情熱的な愛の力が通用しない、すべてが契約と機能で成り立つという、極めてドライな社会の現実を描き出した。

本作品は、「機能的リアリズム」を軸に、「血縁や愛情ではなく、契約と機能に基づいて結成され、その維持のために役割を演じることを強いる現代の家族形態」を象徴的に描くフィクションとして、「機能的家族論(Functional Family Theory in Fiction)」という新たな批評軸を提唱するに足る強度を持つ。

このドライな構造の内部で、ロイドとヨルが時に見せる互いへの思いやりや、アーニャの純粋な家族への渇望は、機能的リアリズムに対する人間の感情の自然な抵抗であり、現代の「愛の飢餓感」を映している。私たちは、『SPY×FAMILY』という鏡を通して、情を排して効率を追求した先に、人間的な繋がりがどこに残るのかという、最も根源的な問いを突きつけられている。

  1. ロイドの行動原理の具体的描写: ロイドの「情に流されるな」という独白や、フィオナ(〈夜帷〉)のロイドへの恋心が、任務の障害としてコミカルに処理される描写は、ウェットな情動が機能に劣後する構造を象徴している。
  2. タルコット・パーソンズ(Talcott Parsons)ら機能主義社会学は、社会を各構成要素が特定の機能(役割)を果たすことで維持されるシステムとして捉える。ロイドらが「父」「母」という役割を演じる構造は、この理論と接続される。
  3. 本傾向は、公的機関および民間による複数の調査報告に基づいており、一定の信頼性を有する。近年の国内調査では、マッチングアプリ利用者の多くが「時間対効果(タイパ)」や「費用対効果(コスパ)」を重視し、出会いの過程においても「目的の一致」や「生活様式の適合性」といった合理的・機能的な条件を優先する傾向が継続的に確認されている。
  4. コンフルエント・ラブ(Confluent Love)は、社会学者アンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens)が1992年の著書『親密性の変容(The Transformation of Intimacy )』で提唱した概念である。これは、関係が合意が続く限りの流動的なものであり、フォージャー家の契約が示すように、機能的な評価によって常に維持される現代の繋がりの本質を捉えている。
  5. ジグムント・バウマン(Zygmunt Bauman)は、著書 Liquid Modernity(2000) の中で、現代社会が固定された基盤を失い、すべてが流動化・一時的になっている状況を論じている。フォージャー家の「契約」という一時的な基盤はこの概念と接続される。
  6. アーリー・ホックシールド(Arlie Russell Hochschild)は、著書 The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling(1983年)の中で感情労働の概念を提唱し、感情を組織の合理性のために消費することの倫理的な問題点を指摘した。
  7. 倫理的対立意見として、感情労働の一般化は、個人の内面と外面の乖離によるストレスや、自己の喪失感をもたらすという社会学的な批判が存在する。
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